日本のはじまり 稲作と国家成立

石舞台古墳 明日香 奈良
石舞台古墳 明日香 奈良

日本列島に統一国家ができたのは3世紀、奈良盆地、三輪山付近の纒向(まきむく)に成立した大和朝廷であるといわれている。


大和朝廷は、古代豪族の連合国家であった。時代は弥生時代末期、大陸から稲作や鉄器が入り当時の産業革命により急激に農業生産が向上し、富や土地への関心が高まったのだ。主に朝鮮半島から北九州に伝わった鉄と製鉄技術は、武器製造ばかりではなく鉄製の農機具の普及が圧倒的な農業生産力を発揮する。稲作の収穫高が増加するとともに、富が蓄積され、土地や水に対する利権を確保することが重要となった。出雲や吉備、北陸の越、尾張など当時有数の部族勢力にとって部族連合としての統一国家をまとめるために大王(天皇)が要請された。

 

日本はいつごろ始まったのだろうか。日本の国名が確立したのは、7世紀末、天武、持統天皇の時代だ。それ以前は、国名は大和であり天皇の名称も大王(おおきみ)であった。たった1300年前のことである。では日本人とは何か。現代の一般常識では北海道から沖縄までこの列島に古い時代から住んでいる人々が日本人であると思われがちだが、日本人を当時の大和の勢力範囲とすれば、西日本の居住者に限られる。すなわち関東、東北、それに南九州は日本ではなかった。したがって当時、この地域に居住する人々は日本人ではない。さらに沖縄は、10世紀ごろまで縄文時代が続いていたのである。

 

「この多様な列島諸地域の中で、最初の本格的な国家、『日本国』が確立するが、それが列島全域をおおった国家でなかったことも、案外、意識されていない。(中略)それ故、『日本は単一民族、単一国家』などというのは、まったく事実に反する『神話』といっても過言ではない」

                                              「日本とは何か」網野善彦

 

現代の常識や通念は事実ではないことが多い。日本と言う国がいつ始まったのか。日本人はどのようにして日本人になったか。天皇制の成立と推移。これを多くの日本人は知らない。歴史の多様な流れの中で獲得してきた日本人のDNA(文化遺伝子ミーム)というべきものに迫ってみたい。なお本稿では、日本という表記を漫然と使用しないで、日本列島に住む人々とその文化という意味で「日本」と表記していきたい。

 

御田(おんだ) 住吉大社 大阪