タマとカミの文化 日本文化の特異性

神仏オブジェ 住吉大社 大阪
神仏オブジェ 住吉大社 大阪

本稿の論旨を整理すると、まず日本列島に北方、南方、大陸から移り住んだ人びとがそれぞれ部族を形成し、列島の文化に同化していった。山岳と森林に覆われた列島の風土は、美しい四季の変化、サチをもたらす豊壌な自然とともに、火山、地震、台風襲来など生存に驚異をもたらす自然でもあった。縄文時代1万年の間、人びとはそんな森羅万象の中に「タマ=カミ」を見出し共に生きたのである。ここに日本独特の基底の文化が醸成されていったのだ。カミは一つ間違えば大きな祟りを引起こした。人びとは恐ろしいカミの怒りに触れないために祭を催しカミを祀った。

 

森羅万象のタマたちは、樹木や岩、動物たちを容れ物として宿っている。もちろん人にも宿った。中でも強力なタマ(=カミ)の機嫌を損なうと恐ろしい祟りが社会や人びとを襲うことになった。天変地異や疫病の蔓延、関係者の死などである。人びとはタマを祀った。当時のタマは、人びとの身近な土地のタマ、山や森ののタマ、祖先のタマなどである。タマは思慮深い人格者となどではなく、むしろ欲深い暴れ者と考えたほうがよい。祭はこれらのタマのご機嫌を取り、祟りを防ぎ、サチをいただくおもてなしを行うことである。これが随分古い時代から人びとのこころに刻み込まれる文化となった。この文化は歴史が下っても綿々と続いていったのだ。

 

歴史上の人物で不遇な死を遂げ、祟たるカミとして特に著名であったのは、京都北野天満宮に祀られている菅原道真、東京神田明神に祀られている平将門、讃岐に流され明治になって京都白峰神宮に祀られた崇徳上皇、大分の宇佐八幡宮や大阪の住吉大社に祀られている神功皇后である。しかし驚くべきことは、私たちは生きている天皇をその祟りを畏れサチをいただくために神々の代表として祀っていることなのだ。

 

天皇は、自らの身体(容れ物)にタマ(天皇霊)をつけることにより「天皇」となる。日本書紀は、天皇を日本神話の中で天照大神、素戔嗚尊からの系譜を綴り、神武天皇を初代としている。それはともかく古い時代のタマの文化を天皇霊の継承として綿々と1700年間受け継いでいるのだ。織田信長など有力な権力者が天皇を否定しようとしても、畏れ多いこととして天皇は存続してきた。明治維新は、天皇のアイコンである錦の御旗が導いたのだ。天皇は日本の此岸と彼岸を繋ぐ基底文化なのだ。日本人の無意識のこころの奥底に古い時代のタマの文化、祟りの文化が存在し、そこに天皇が繋がっているからこそ日本人は天皇を支持し世界にも類例のない王制が続いているのだ。

 

日本の統一国家の形成は、大王(おおきみ)を擁して3世紀に成立する。大和朝廷である。そのいきさつに関する仮説は前述したとおりだが、当時の人びとにとって国家の成立で此岸と彼岸が混じり合ったタマが満ちた世界は終わりを迎えたと思われる。人間の王に支配される時代が始まったのだ。多くのカミが再編成され、現代にも続く八百万のカミの時代となっていく。現代の有名な神社の大部分はこの時代に再編成されたものだ。それまで主流だった縄文時代から続く土地に根付いた多くの小さな神々は淘汰されていった。零落したカミに使えていた多くの神人たちは、職を追われホカヒビトとなり自分たちのカミのメッセージを伝えるため旅の人生をおくった。カミの言葉は、彼らの工夫が凝らされた歌や踊り、物語となり日本の芸能のルーツとなっていった。

 

さらに旅を中心とする生活は、山の文化とも融合しながら鍛冶、製薬、大工などの技術を生業とする職人たちを育てていった。歴史上、技を形成した人びとの中から殺人の技である武芸を極めた「もののふ」と呼ばれた武士や、各地の製品を集めて販売する商人なども現れた。旅の生活者は、里の生活の周縁に位置し、此岸と彼岸の境目に生きること意味していたと思われる。一方で農業を生業とする里の人たちは、村を形成しカミに豊作を祈るため氏子として祭の実行組織をつくりカミをもてなす文化を形成していった。

 

なかでも1万年続いた縄文人たちの「タマ」=カミと共存した文化の種子が、日本人の感受性や生き方に無意識のうちに現代でも生き続けているのではないだろうか。その種子は、時代ごとのに花を咲かせてきたのだ。中世では「能」や「作庭」「茶道」「華道」などを完成させ、近世では「歌舞伎」「浄瑠璃」「俳句」などにつながっていく。どの時代にも天才的な名人を排出してきた。彼らは此岸から彼岸のエネルギーを採り入れ、つまりカミを要請して自らの作品を完成させていったのだ。日本人のこころの中には、古い時代に獲得した自らの存在を超越する仕組みが組み込まれていたのである。

 

日本のアニメやマンガは現在、世界中から好評を得ている。その国際的な展示会を訪れた時、人気キャラクターのフィギュア作家に出会ったことがある。それはそれはかわいい少女のフィギュアであった。これを作った彼が、彼女をちょっとタッチしたとたん、彼女は一瞬の内に口が耳まで裂けた鬼女に変身した。これはなかなかの衝撃であった。「浄瑠璃人形みたいですね」と尋ねると、彼は全く知らないとのことだった。このことは作者の無意識のこころの働きの中に、伝統的な文化の種子が生きていて現代の浄瑠璃人形を創作させたといえるのかもしれない。

 

カッパ淵 遠野 岩手