究極の秘密 「稜威」(イツ)
日本の古い言葉に稜威(イツ)がある。
この言葉は剣術の免許皆伝の書や、神社の宮司の祝詞に登場する言葉だ。また世界遺産、宮島の厳島神社のイツである。一般的意味は「畏れを感じる見えない力」霊的威力のことだ。目に見えない彼岸からのパワーである。森羅万象のタマたちの世界でヒトも一個のタマである。このタマに究極の威力あるタマを呼び込むことでスーパーな力を発揮できるのだ。
ミクロネシアなど南太平洋地域には、マナと呼ばれる森羅万象に遍在する超自然的な力があるそうだ。沖縄ではこれをセジと言う。民俗学者折口信夫は『若水の話』のなかで「柳田國男先生は、マナなる外来魂を稜威という古語で表した」と書いている。
「吾々の祖先の信仰から言ふと、人間の威力の根源は魂で、此の強い魂を附けると、人間は威力を生じ、精力を増すのである。この魂は外から来るもので,西洋で謂うところのまなあである」(大嘗祭の本義)そして折口信夫は日本の神道はマナ信仰の最高峰であるとした。
このマジカルな力「稜威」こそが、日本の古層の文化の底流に流れ、現代にも生き続ける「日本の何か」ではないだろうか。稜威は天皇霊とも言われ、確かにこの稜威の力で天皇は1700年もの間続いているとも言える。この稜威のはたらきによって日本人は独自の文化を作り出してきたのだ。
人間は此岸に生きている限り限界がある。したがって常人は自分がイメージできるものしか実現できない。神業を成す人、名人と言われる人は、カミのいる場所、彼岸をイメージできるのだ。彼岸へ自在に往き来して、彼岸のエネルギー稜威を此岸へ持ち込める人が名人なのである。
名人とは稜威を心得た存在である。自らのタマに、威力あるタマをつける。これにより作られたものには、名人自身のタマと彼岸から要請したタマが宿っている。稜威がしかけられた作品は、いつまでもパワーを発揮し続けることになる。名作の誕生である。これが日本の究極のものづくりなのだ。
フランスの文化相を務めた哲学者アンドレ・マルローは、耽美眼、いわゆる目利きと言われた人である。日本にやって来て東京の根津美術館で「那智滝図」に出会って感動している。早速、熊野にある本物の那智の滝に出掛け、この絵の描かれた視点を探し出してじっくりと滝を眺めたのだ。彼は自然の景観の中に「稜威」を認めたそうだ。
名人と言われる庭師は、庭を作るにあたって、まず石を立てる。この立っている石によって隠れている彼岸の自然が立ち上がるのだ。彼岸のパワーが此岸に現れるのだ。これが神業たるゆえんである。龍安寺の石庭に臨んで稜威を見つけてみよう。
龍安寺石庭 京都