いま何故、日本なのか

本サイトは、日本という文化の独自性や特徴に、古い日本のカミが関わっていることを検証する試みである。八百万(やおよろず)のカミという多神教文化を有し、世界史的にも辺境の地であった日本列島に起こった文化が、いま世界の脚光を浴びはじめていると思うのは著者だけだろうか?

 

縄文時代から現代に至るさまざまな出来事と日本の神々との関わり解明し、そのカミの構造と機能が特定できれば、あたかも薬草から薬の成分を絞り出すように、従来の宗教の枠にとらわれない新たな観念装置としての「カミ」は、現代的な事物への活用が可能となると考える。 文明史的にも、アジアの東端に位置する日本は、古代から文明の中心ではなく、いわば辺境の地、イナカであった。それ故、いつでも文明の中心地からオリジナルを取り入れ、カスタマイズしてハイブリット化する独自の文化を作り出した。そのカスタマイズの「妙」に、日本のカミ概念が関係していると思われる。

 

これらは、すでに具体的な成功事例が数多く存在している。本ブログでも紹介したアップルのジョブスのiPhoneイメージの中心には「日本のカミ」が隠されている。三宅一生やケンゾウのヨーロッパでの成功は、「日本」を色や形に現代化した結果である。モノマネから出発した戦後の日本のものづくりは、後発にもかかわらずオリジナルを凌駕した。いわばニセモノが本物を超えたのだ。 これらには「日本のカミ」が隠されている。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」などのアニメ作品には、現代化された「日本のカミ」が活躍している。現代の日本社会には実体のない表象としてのキャラクターが各処に浮遊している。それらはそれぞれに小さな物語りが付属し、それはあたかも愛らしいモノノケのようだ。

 

このことは、ナショナリズムでも日本礼賛でもない。一国民として国際社会の中での日本国の立ち振る舞いが何とも情け無いのだ。グローバル化された国際社会の中で、常識的な経済貢献や軍事的補完関係を超えて日本という国が、世界から尊敬をされ重要な役割を果たすためには、伝統的に祖先から受け継いできたこの独自のノウハウ、「神技」をつくりだしたそのエッセンスを摂りだし、一般化、標準化して、世界で共有できればおもしろいと思う。