カミとは森羅万象が発する見えないアプリだった

21世紀にはもう宗教は必要がない。もともと宗教は有限の存在である人間が、完全で無限の存在である絶対者、神からの救済を求めたことからはじまった。いわばヒト中心に作られた救済の社会システムであったわけだ。教団を作って社会的に機能する宗教は、いつしか教祖の本来の教えから乖離し社会権力化した。更に結果として絶対神への信仰は、現代でも民族相互の深刻な対立を生み出している。そこで原点回帰してアニミズム的観点からみると、古代にカミとされたのは、森羅万象が発する特異情報としての精霊たちであった。ヒトは、その特異情報を感知し、カミとして受け容れたと思われる。今風に言うと、古代では自然からやってきた特異情報を、宗教というテンプレートの枠に受け容れて理解したわけである。キリスト教などの一神教は、アミニズムの精霊たちから、より抽象度の高い絶対者を設定しキリスト教というテンプレートを作り上げた。しかし、この列島では、森羅万象の多様なカミたちをそのまま認め、それらを祈りの対象としてばかりでなく、具体的な生きる道しるべとして活用していたのではないだろうか。
つまり森羅万象をOSとしたカミという名の複数の多用途アプリと考えれば、宗教という名前の特定のアプリではなく、ヒトが石油や木材を天然資源として森羅万象から取り出したように、カミ(タマ)という特異情報を情報資源として受け容れて、もっと自由に活用できると思われるのだ。その実例が、日本的なものづくりや食文化の独自性に現れていると思えてならない。