浅草で外国人に人気の旅館がある。こちらでは宿泊1日目の夕食には必ず鍋料理を出すそうである。「日本を理解していただくには鍋料理が一番です」旅館の主人は語った。箸と箸で突き合う鍋料理は、コミュニケーションを促進し、相手への気遣いが生まれるそうである。それはともかく鍋料理のルーツは縄文時代である。縄文の人々は部族単位に、統一国家も作らず1万年もの間、森羅万象からの幸(サチ)を分け合い、土地のカミを祀り、鍋を囲んで生活していたのだろうか。その後、時代の変化が訪れる。縄文から弥生への移行である。弥生期から始まる大きなイノベーションは、鉄器の流入、稲作の普及と東進、統一国家大和朝廷の成立、仏教の渡来、漢字の導入などである。1万年の縄文文化を背景に彼らはなんなくそれらを受け入れていくのである。
森羅万象には様々なカミ(モノ)がいる。拝む対象もいろいろある。多様な選択肢のなかでのさまざまなものを採り入れる。しかし自分たちに本来、身についた大本の文化は変えない。人々は、生活に恩恵をもたらすカミはもてなして祀り、大きな祟りを与えるカミは、これを畏れて祀る。小さな神々もその都度に祀る。多様なコードを採り入れ、自分のモードにしてこれを使う。それが縄文アニミズム文化であったのではないか。
キリスト教が日本の伝わった時、当時の信者たちはマリア菩薩を作って、これを拝んだ。キリスト教と仏教を混ぜたのだ。一神教であるキリスト教にとっては、これはあってはならないこと。宣教師たちは大いに困ったそうである。人間は猿から進化したというダーウインの進化論が明治になって入ってきた時も、日本人はすんなりと受け入れたそうだ。欧米では現代でも抵抗する人たちもいるらしい。
クリスマスはサンタクロースでキリスト教、大晦日は除夜の鐘で仏教、正月は初詣で神道。いまだに日本は変わっていない。いま世界中に拡がっている日本のアニメ文化もこれに乗っかっている。みなさん、どう思います?