日本の頑固親父が消えた

仮に、「生きると言うことは自らのエネルギーを存分に燃焼させること」であるとすると、最近の親父たちはどうも元気がない。戦前、日本中を歩き回った民俗学者宮本常一は、昔の普通の日本人は、学校教育も十分に受けていないし、村から出ることもなく情報も持っていなかった。したがって何かを決める必要が生じた時には、合理的、理性的判断ではなく、勘と経験でものを言った。結論が明らかに間違っていることも平然と決めていたらしい。この「決める」役割が家族内での親父の役割であったのだ。その決定に対して当然、反抗する者もいた。そこで争いや確執も生じた。つまり負のエネルギーが高まったのだ。このエネルギーをバネにして息子たちは親父を超えていったのではないだろうか。娘たちは恋を成就したのではないだろうか。現代の親父も、自らの優柔不断を脱し、「決定」できる頑固親父として蘇るべきなのだ。


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コメント: 2
  • #1

    架場 久和 (金曜日, 28 8月 2015 04:39)

    確かに、日本の家父長は頑固でしたね。でも、西欧でもそうでした。日本の家父長は家族に対する権力をふるっていましたが、世間の圧力に対しては弱かった。軍隊から脱走して家族のもとに逃げ帰ってきた息子を親父は世間から守れないのです。それどころか、世間の圧力に同調して警察に密告したかもしれません。浅間山荘事件を起こしてしまった学生の場合も同様でした。一人の学生の親父は世間の嫌がらせに耐えきれず、謝罪のために自殺してしまいました。子供たちは頑固親父が自分たちを守ってくれるとは思ってなかったが故に、本当には権威を持っていなかったかもしれません。それで、親父は頑固だったのに、日本の家族は社会に対して強い自立性を持てませんでした。
    世間の圧力も並大抵のことではありません。神戸で小学生の首を切って校門に置いた中学生の親に対する朝日新聞の記者の謝罪の強要はおぞましいものがありました。それでも、立派な親父がいるものだと思った例外的なケースは、テルアビブ空港乱射事件の奥平兄弟の父親でした。彼は世間に謝罪をしたり、許しを乞うたりはしませんでした。息子たちの考えは自分には理解できない、しかし彼らは彼らなりの考えがあり、それに基づいた行動だったに違いないと、二人の息子を失った悲しみの中で新聞記者に向かって言ってのけました。

  • #2

    架場 久和 (土曜日, 29 8月 2015 00:30)

    頑固親父は、日本にも辛うじて成立した中産階級の崩壊と共に最終的に消滅しました。その後は、上流から下層まですべてが均一な<大衆>と化しました。中産階級は決して譲らない固有の生活様式を持っていました。まだそれほど豊かではなかったのにもかかわらず、その生活様式を維持するためにはかなりの犠牲でもそれをいとわないところがありました。利益を捨ててもスタイルに付くところがありました。当然、親父は怖かった。家族が強い自律性をもつチャンスだったかもしれません。大衆化のプロセスは、この家族の崩壊の過程に他なりません。わずかな利益の方向へ一斉に右往左往する大衆の意識の底に日本文化の蓄積が受け継がれているのか、どうか。どうでしょう。