神仏のデザイン

遠い縄文時代から神社はあった。沖縄には今でもその原型が数多く残っている。御嶽(ウタキ)と呼ばれるその場所は、森の中の広場であったり、巨岩の前のステージであったりする。何もない場所に香炉だけが置いてある。御嶽は男性禁制の聖なる場所でありカミを招いて祭礼が行われるのである。

和歌山県の熊野にある花窟神社の御神体は海に面する岩山である。社殿はない。これが神社の原始的な形態であった。神社の原型モデルは、深い森の中に一本の道を作り、常にその道は清掃して清め、その奥に祭りが執り行われる聖なる広場がある。森に隣接する川には禊場があり参拝者はここで身を清めて聖なる広場に詣でることになる。これが神社・聖地の構造である。カミに出会うための動線はどこの神社も共通である。時代が下るにつれて、仏教寺院の影響を受け、カミの住む本殿、参拝者がカミに拝む拝殿が設置されていった。

これに対し仏教寺院は、飛鳥時代に日本に入って来た時から、明快な構造を持っていた。寺院は、一言でいうと仏教世界の体験空間だ。寺院建築の配置、仏像の配置、仏像表現方法まですべて決められ設計された世界なのだ。塔には仏舎利、金堂には本尊と脇侍としての諸仏となっている。