家制度と墓

戦後の都市化、核家族化、地方の過疎化などで、すっかり日本の家制度は形骸化してしまったようだ。現代は個人が家よりも重視され、老後のこと、死後のことは家族、親族の間でも先送りされてきた。現在、日本は高齢化社会に突入して、もう逃げることのできない状況に立ち至っている。民俗学の柳田國男は、墓について遺体を埋葬する墓とタマ(霊)を拝礼する墓に分けて考えている。タマを重視するからだ。沖縄では、昔、風葬が主流であり埋葬の習慣はなかったそうだ。江戸時代の庶民は個人墓は稀だった。などなど実は、人の死後の取り扱いは、時代と場所で様々であったのだ。したがって、いまの常識、人が亡くなると菩提寺に戒名、葬式、法事を依頼し先祖伝来の個人墓にお骨を収めることにこだわることはないのだ。現代のほとんどの人が自分の曾祖父さん曽祖母さんより前の世代を知らない。会ったことがないから当然であるが、現代人は知らないことは自分に関係がないと思いがちだ。

一度、面々とつながる先祖のタマの流れをイメージしてみよう。

カミを祀る神社は、初詣や結婚式など、はじめを祝う宗教となり、除夜の鐘や葬式など終末を弔うのは寺院が取り持つことになってしまった。もともと江戸時代までは、神宮寺といって神社と寺院が同居して神官がお経を読んでいた時代もあったのだ。

現代では、自分の遺骨は海など自然の世界へ戻して欲しいという人々が増えているようだ。人は死んでタマにもどることからすれば、亡骸や遺骨を大自然に戻して行くことのほうが理にかなっているのではないか。沖縄のように死んだ人のタマは彼岸、ニライカナイに赴き、またある日、此岸に戻って孫やひ孫をサポートする。そんな考え方の方が、閻魔大王の裁きを受けて地獄に堕ちる物語よりも楽しいではないか。