ウツと禅

ウツとは、空っぽのことだ。座禅は座ってこころの中を空っぽにする修行である。常人は、何も考えないでも頭の中には様々な雑念が渦巻いているものだ。空っぽにすることが難しい。仏教に空(くう)という言葉がある。色即是空の空のことだ。一般には空とは、何もないことと思われがちだが、色(しき)=世の中の現象は、全て縁=関係によって結ばれている。それを人は世界と思っているにすぎない。したがって時の流れの中で生じる関係であるから実態はない。これが空である。このことを実感することが悟りである。空っぽになった悟ったこころには、本来の真実がやってくるのである。日本の古い考え方でも、こころが空っぽになると、そこに何かがやってくるのだ。例えば、民話の三年寝太郎(さんねんねたろう)は、一見するとただの怠け者の男が、突然起き出した末に世の中の役立つことを成し遂げた話である。枯山水の庭では、水を抜くことによってより水を表現する。無いから本来の姿が見えてくるのだ。かぐや姫は空っぽの竹の中から生まれる。日本の神々はそんな空っぽの中に訪れるのだ。それを影向(ようごう)という。ドイツから来て禅宗の住職になったネルケ無方師は、座禅を人生の軸と言っている。車輪はぐるぐると回るけど、軸は動かない。動かない軸ほど車輪はなめらかに調子よく回転する。動きを止めること、あるべきものを差引いてみる。これらは、日本文化の特異点の一つである。